FT8とALCの関係は?
FT8やJT65などの信号は「ALCを振らさないように」と言う話を聞く。信号が汚くなるらしい。本当かどうか、本当ならどうなるのか、ずっと気になっている。また、時折、倍音を引き連れた信号も見かける。あれはALCを振らせた結果なのだろか?
そもそもとして、無線機(TS-690)のマニュアルによれば、「SSBでは送信時にALCメーターの振れがALCゾーンを超えないように」とある。ALCを振らせてはいけないのではなく「超えない」ことが重要なはず。デジタルモードだからと言ってもSSBを使って送信するのだから、「ALCを振らせてはいけない」はどうも腑に落ちない。
ということで、送信信号をOSA103 Miniのスペクトラムアナライザ(FFT)機能で観測してみることにした。
測定条件
- 無線機: TS-690(100W終段(50W制限))
- ソフトウェア: WSJT-X
- 送信出力: 10W
- アッテネータ: 50dB(30dB + 20dB)
- 測定器: OSA103 Mini
出力10Wで50dBのATTを入れるので、アナライザでは0.1mW(-10dBm)になる。
TUNE信号の測定
送信出力の設定を兼ねてTUNE信号をスペアナで測定してみる。
1GHzスパン
WSJT-XのTUNEを使って、-10dBmになるように調整。さすがに、スプリアスはなくきれい。なお、送信周波数は7.075MHz(7.074MHz+1000Hz、ただし、スプリットモードにしているので、実際には7.0735MHz+1500Hzになる)。
信号近傍
信号付近を詳しく見るためにスパンを狭くしたら周波数が正しく表示されなかった(この画では約5kHzと表示されている)。これは、OSA103 Miniの仕様(というか限界?)なのだろう。また、信号の幅も80Hzほどあるが、これはFFTのためだと思う(掃引式のスペアナで見たら違って見えるだろうと思う)。ノイズレベルのウネウネはFFTの窓関数次第(ここではHammingを使用)。
FT8信号測定
ここからは、(TUNEではなく)データ(CQ)を送信したものをスペアナで測定する。なお、スピーチプロセッサはOFF(デジタルモードでは「入れちゃダメ!」と言われているので)。
ALCは振れていない状態
±860Hz付近にスプリアスが見える。
ALCの上限まで振らせた状態
無線機のPWRつまみを絞って、ALCが掛かるようにした。
特段の信号の変化は見られない。±860Hz付近のスプリアスの強度も変らない。
ALCの上限を遥かに超えた状態
これでも特に変った様子は見られない。
信号が汚くなるなら、幅が広がるとか、倍音がそれなりの強度で見えると思うのだけど(主信号から数百Hz~数kHz程度上の方に)。
FT8信号測定(スピーチプロセッサ: ON)
ここまでの測定で、ALCを振らせても特段の変化は見られなかった。そこで、「入れちゃダメ!」と言われているスピーチプロセッサを敢えて入れてみた状態でも測定してみる。
ALCは振れていない状態
スピーチプロセッサがOFFの状態との違いはわからない。なお、このときのスプリアス(帯域外領域)の強度は主信号から-50dBくらい。
ALCの上限まで振らせた状態
±860Hz付近のスプリアスがやや強くなった。
ALCの上限を遥かに超えた状態
ALC上限の場合との差はなさそう。
さらにPWRツマミを絞る
ALCを超えさせたり、スピーチプロセッサを効かせたりしても、予想に反してひどくおかしなことになるようなことはなかった。
PWRをさらに絞ってみたら、+1.9kHz付近にスプリアスが出るようになった。なお、PWRを絞ったので送信出力は小さくなっている。また、FFTの設定を変えたので、これまでの上のものとは違っている。
CQ送出時の波形(ビデオ)
ついでに、CQを送信している様子をビデオにしてみた。ウネウネ動いて面白い。
まとめ
今回の実験の範囲では、ALCを振らせても、スピーチプロセッサを効かせても、送信信号がひどい状態になるようなことはなかった。「ALCを振らせないように」と言われているので、きっとひどいことになるのではないかと思っていたけど、その予想は当たらなかった。少なくとも今回の設備の範囲においては、ALCメータを(多少は)振らせても特段の問題はなさそう。
しかし、実際にひどく左右に広がっている信号や、倍音を引き連れた信号を見かけることも少なくない。どうすればあのような状況を起こせるのだろうか?結局、謎は深まるばかり。
気になることといえば、今回の無線機はファイナルが100W仕様であること(免許の都合上50Wに制限している)。ALCとの関連を調べるためにPWRのつまみを絞ることで実験した。つまり、終段には余裕がある状態でALCによって出力制限をかけている。終段の余裕がない状態で(例えば、100W機で100W出力させるとか)使うと信号が汚くなるのだろうか?
それよりも、AFの段階ですでに歪んでいるという方がありそうか?特に、倍音の方はAF段で起きているような気がする。PCから出た音声信号が歪んでいるとか、何かしらのインタフェースを挟んでいるなら、そこに問題がるとか。誰か実験してくれないかな?
ちなみに、下の画が左右への広がりが大きい信号を受信した例(950Hz付近)。二倍音(1900Hz付近)、四倍音(3800Hz付近)も観測できる。
(追加)各社のALCに関する記述
メーカ機の取説で、ALCに関する記述を調べてみた。調べたリグはこちら。
- アイコム: IC-7300
- 八重洲: FT-991A
- ケンウッド: TS-590G
選定基準はこちら。
上記の無線機は、いずれも特別なインタフェースを必要とせずにUSBケーブルでPCと接続できる。
IC-7300
- SSBモード
LSBモード、USBモードのときは、メータータイプを「ALC」に切り替えて、音声のピークでメーターの振れがALCゾーンの30%~50%振れる程度に調整します。 データモード
LSB-D/USB-Dモードで運用するときは、ALCメーターの振れがALCゾーンを超えないように、接続している外部機器のAF出力レベルを調整してください。
FT-991A
SSBモード
音声のピーク時に、ALCメーターの針がALCゾーン内いっぱいまで振れる位置に設定します。データモード
※記載なし(見つけられなかった)
TS-590G
SSBモード
ALCメーターが声のレベルに反応し、しかもALCゾーンの範囲を超えないように調整します。データモード
送信信号の歪みを少なくするために、ALCの掛かる範囲でなるべくレベルを下げて使用してください。
ここのまとめ
本当はデータモードに関しての記述だけを引用しようと思ったのだけど、FT-991Aにはデータモード時のALCに関する記述が見つからなかったのでSSBモードのものも取り上げた。
これらを見る限りでは、ALCを振らせることは悪いとは言えない。それどころか、FT-991Aは積極的に降らせるべきとも読める(SSBモードの場合だけれど)。
コメント
二重にコメントしいていたらご容赦ください。
はじめまして。いつも参考にさせていただいております。
一度、7MHz、FT8でコールをお見かけしたのですが、コールするタイミングが合わず残念でした。
FT8に関して、迷信?誤解が多いと思っております。以下,私見です。
このALCの問題でも変調方式の違いと、音声増幅部と終段増幅部のレベル調整の違いがごっちゃにされていると感じております。
まず、FT8は8値FSKといわれている限り、DXPEDモードを除いて、いかなる一瞬でも複数の周波数のエネルギーが出ることはありません。(この根拠をFT8のドキュメントを読み漁ったのですが見つけられませんでした)
ということは、終段電力増幅部でどれだけ歪んでいても、RFにたいして整数倍の高調波は出ますが、FT8の帯域に不要なエネルギーが出ることはありません。
昨今の無線機のALCが終段電力増幅部での歪みを防ぐ目的ならいくらでもALCを振らせても問題ないはずです。
音声帯域のレベル管理はALCとは全く違う話で、ここで歪ませると、歪みかたによりAF周波数の偶数倍、もしくは奇数倍の不用輻射が出ます。極端な話、ALCをバンバン振らせてもAFレベルで歪んでいなければ何の問題も無いはずです。
ここで、波形のピークが過入力で歪む(いわゆる「頭がつぶれる」)状態ですと、奇襲倍の高調波が出ることとなります。
偶数倍の高調波が出るには、三角波のような波形にならなければなりません。<<<回路的にどのような回路構成で再現できるか思いつきません。
昔と違うところは、DSPが使われている点で、A/Dコンバーターに過入力を与えると確実に頭がつぶれた波形と認識して処理されます。
適切な入力であれば、AF信号はいかなる一瞬でも単一波ですのでスピーチプロセッサーがONであっても歪まないと理解している。
ちなみに当局ではIC756P3とFT991をダミー負荷で対向させて実験してみましたが、上のとおりの挙動をしています。
受信のAGC ON/OFFについてはまたコメントさせていただきます。
いかがでしょうか?
大変興味深いです。ありがとうございます。
FT8の受信で左右に非常にはみ出た信号や倍音を見かけることが割とよくあります。どうやったらそうなるのか、「ALCを~」の注意をよく見かけるのでそれと関係があるのか、そのあたりを見てみたくて自分でできる範囲で実験したのが上の記事です。
私の実験の中でも、ALCと歪とは関係がなさそうなことが分かりました。やはり、AF段でのトラブルの可能性が高いようですね。
受信のAGC ON/OFについても歓迎します。ぜひ、お願いします。しかしながら、手元の無線機(TS-690)では、AGCはオフにできません(FAST/SLOWの切り換えだけ)。
いつも参考にさせていただいております。
当局はFT-5000を使用しておりますが、AGCをOFFにするとWaterFallに2倍、3倍の信号が時々現れますが、AGCをONにするとほとんどの場合2倍、3倍の幅広くなった波形は消滅します。受信機側で強い信号のとき作られているように思っております。詳しい因果関係は不明のままです。
情報、ありがとうございます。
(受信時の)AGCを入れると倍音が消えるということは、AGCがOFFの状態では受信信号が強すぎで受信機内で歪が生じているのでしょうね。それならば、おそらく、ATTを入れるとかRFゲインを落とすことでも歪(倍音)は消滅すると思います。
手元の無線機TS-690では、残念ながらAGCをOFFにできない(SLOW/FASTの切換えだけ)なので、その確認はできません。
ATTやRFゲインは調べたことがありますが、それでも倍音を生じていました。下のリンクが、実験したときの記事です。
https://www.jh4vaj.com/archives/7446
JT65やFT8などの単音系F1Dは、短い時間に注目すればCWと同じ単一キャリアであり、周波数シフト時も繋ぎ目が滑らかになる様にソフトウェアで工夫されています。
よってALCの振れが関係無いのは勿論ですが、高周波増幅段がたとえC級増幅であっても問題無いはずです。
「ALCを振らしてはいけない」と誤った認識が広まっていた背景にはこれらのF1Dの生成にSSB送信機が使用されていたことや、PSK31やSSTV等「ALCを振らしてはいけない」デジタルモードと同じデジタルモードインターフェースを使用していることがあると思います。
また権威ある雑誌などのコラムでもJT65やFT8で「ALCを振らしてはいけない」と誤った記載がされていたことも一因と思われます。
コメント、ありがとうございます。
PSK31やSSTVではALCを振らせると何か問題があったんでしょうか?それも気になります。メーカの取説ではALCが触れること自体は(デジタルモードであっても)悪ではないように思えるのですが。
実験お疲れ様です。素晴らしいですね。ご自身で実験ができるという環境もですが、その意気込みに感服いたしました。
DX pedi modeを除いてFT8はシングルトーンですので、ALCを振らしても関係がないのです。
wsjt-xの開発グループからのコメントです。FBに載っていたもののコピペです。(^_^;)
The WSJT-X Tx audio synthesizer does not change frequency at zero-crossings, it happens at exactly the time the protocol expects the shift. The phase is continuous as far as it possible but you are correct in that the shift is between two samples so there will be a small wideband component at switching of symbols. Since there is only one tone at any time there will be no IMD components.
The start of Tx is at full amplitude but the samples are synthesized starting from the zero-crossing. The tail end of audio is ramped down to zero amplitude over a few milliseconds.
73
Bill
G4WJS.
コメントありがとうございます。
ALCが振れることは問題がないというお話がだんだんと集まってきています。そういう意味でも実験してよかったです。
「ALC悪者説」は問題の本質ではないようですね。きれいな電波で送信するためにも、本質的な話が広まってくれるといいなと思います。
はじめまして
>AGCを入れると倍音が消えるということは、AGCがOFFの状態では受信信号が強すぎで受信機内で歪が生じているのでしょうね
ご指摘の通りだと思われます。
AGCはその名とおりAutomatic Gain Controlで、RF回路のゲインを自動的に制御する機能です。
これをOFFにするということはRF回路のゲイン調整が自動でされなくなってしまうので、通常のRF GAINつまみが最大値のままですと、いろいろな受信信号が混ざり合っているHFではたちまち受信回路が飽和し、受信信号の孫やひ孫がたくさん現れます。
よくJT65やFT8のマニュアルでは「AGCをOFFにする」と書かれていますが、これは多くの受信信号が存在しなかったEMEでの条件の名残であって、HFや50MHzではAGCをOFFにするのはいろいろリスクが生じると考えます。
当方の環境(TS-690)では、AGCはSLOW/FASTの切り換えだけで、OFFはありません。
ATTを入れてみたり、RF Gainを絞ることはやってみましたが、それでも倍音が出るものは出るので、送信側に問題がある局もいるのだろうなと想像しています。
返信が遅れすみません。
AGCがONで倍音が消える件
皆さんのご指摘の通り、「AGCがONで倍音が消える」場合は受信機が倍音を発生させていると断定して良いと思います。
倍音の倍数によりWFに表示される帯域幅が500Hzの倍数で見られるのは皆さんがご存じのとおりです。
但し、「原因となる強力な信号が複数存在する場合」は倍音に加えて所謂「奇数次混変調積」が現れます。これは見た目「雑音」のように見えます。
TRCVを送信2台、受信1台でダミーロード結合で再現試験をしましたが、再現できました。
この問題はほぼ受信側の増幅器の飽和(場所はAFとは限りません)と考えられます。
「ほぼ」と書いたのはPCのサウンドカードの性能に一抹の疑いが消せないためです。これはBLOGに書かれていたX分の1の波が見える件に関連すると疑っているためです。
本題です。
AGCはOFFにするべきか否か???
私の結論ですが、
「弱い信号を受信したいときはAGCをOFFにすると受信できることがある。」
例を挙げます。
弱い信号(A) -20dB 周波数 1000Hz
強い信号(B) +20dB 周波数 1500Hz
AGCをONとすると(B)のレベルによってAGCが動作し、受信機の増幅器のゲインが低下し、そのために(A)のレベルも下げられ -25dB以下(例)となり受信できません。
AGCをOFFにすると受信機の増幅器が飽和し(B)による倍音が発生しますが、その周波数は1500Hzの整数倍になり(A)の受信に影響を与えませんし、(A)の受信レベル-20dBは変わらないので(A)は受信できます。
もちろん(A)の周波数が(B)の倍音に合致すると受信できません。
この冬の夕方にEUから入感する信号とそれを呼ぶ強烈なローカル局の信号でこのような状態が起こっています。
さらなる疑問点(ご教示いただければ幸甚です)
(1)受信信号のS/Nはどのように計算されているのか?特にNの値はどのように定義されるのか?
(2)TRCVに入力されるAF信号の品質はPCによってどれぐらい個体差があるのか?
PCから出力されるAF信号はどのPCでもきれいな波形なのか?X分の1の周波数で電波が出ているのはPCが作っているという疑いが強い。
(私のシステムでは再現できない)
時間ができましたら私が使っているPC(3台)で出力波形を観測してみます。
ありがとうございます。非常に勉強になります。
こちらから提供できる情報はほどんどないのですが、一つだけ。以前、JT65の信号をWave Spectraで見たことがあります。
https://www.jh4vaj.com/archives/3489